- 『ピコの心』 -                (凸凹作家ピコの屈折した記録)

切り絵、パステル画、詩、書、発達障害(自閉症スペクトラム・ADHDなど)、愛着障害(アダルトチルドレン)、解離に関するもの、その他。 暫くは詩が中心です。

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ACとの対決

先日、自分の名前と共に過去の自分を葬りました。
自分の中に、自分自身が何処にも存在しなかった過去。
思い出したくない記憶に埋もれた、自分ではなかった自分。
そんなものを纏めて、葬り去りました。

それは、ACとの、僕流の対決でした。
ACであった自分の過去と一度決別する事で、過去(AC)への囚われに惑わされ続ける自分を解放したかったんです。
但し、これはACとの対決の序曲に過ぎないと思っています。
ACに気付いてから、自分で無い自分を演じ、振りをして偽りの人生を送ってきたことに愕然とし、それからの暫くの期間、ACであった自分を許せず、否定した自分自身を信じることが出来なくなり、自虐的な自分に翻弄され、自分の中で繰り広げられる、振りをする自分と自虐的な自分との果てしない遣り取りに疲れ果て、また、以前のように自分自身を消してしまいたい衝動との葛藤が続きました。
その苦悩の日々の終焉近くには、心に流れ込む悪意に耐えかねて、心が死を望む心の発作を起こし、鼓動が耐え兼ねて動く事を諦め、静止の前兆とも思える段階に一時留まっていました。

それは、あるメールが切っ掛けで、その後、送られて続けたメールに救われ、また、時を同じくして‘LINE’での絆によって救われました。
その過程を得て、ACである事を、全て否定しなくてもいいのかも知れないと思うようになったんです。
ですが、その切り捨てたい過去の自分の象徴である名前への、いい知れぬ不快感と恐怖が絶頂に達し、一端全ての過去の残骸を葬り去らざるを得なくなったんです。
そして、空っぽになってしまった自分の過去を、過去の残骸の中から探し出した本当の自分自身の欠片で少しずつ埋めて、自分の容を作ってやらないと、空っぽの儘の自分を如何して信じられるでしょうか。

それから、ゆっくりと自分との対面を繰り返しながら、つまり、過去の自分と、更に本当の自分と向き合うことで、本当の自分自身の欠片を繋ぎ合わせて、…その過程を通してACで有ることと向き合ってみようと思います。
ACで有ることを含めた自分自身を認め、受け入れることが出来れば、過去の自分すらも自分の一部として、葬って灰となった姿でも容認してやることが出来れば、そうすれば、自分を信じることが出来るようになるんじゃないかって思うんです。
それが、自信というものなんじゃないかと…。

共依存というものも、自覚する事である程度コントロールできるんじゃないかと思います。
自分の事より他人の事を優先してしまうなんて、美しい事じゃないですか。
それは偽善なんかじゃなくて、心からそう思う筈です。
それを、ACの副産物に過ぎないと(少し前までは、そう思っていました)思い込み、否定してしまう必要は無いんです。
優しさに言葉を変えて上げればいいんじゃないでしょうか。

自分の事が、つい疎かになってしまう。
そういったことも、補え合える人が居れば、何とか生きていけるかも知れません。
振りをして自分を偽り、偽者の自分を作ってきてしまったのも、自分を守ろうとする作用です。
そういう部分が有ることを自覚しながら、もう振りをしなくてもいいんだということを自分に言い聞かせ、優しく受け入れてやれれば…。
自虐的な自分との対決は、まだ如何すればいいか分かりませんが、少しずつ、ACとの共存の道を探してみようと思います。

ACの全てを否定してしまったら、自分自身の大半を否定する事になってしまう。
だから、否定以外の道を探すしかないと思うんです。

ACとは、一度は決別の時期を迎えなければならないように思います。
自分の過去との決別、ACを作り出した家族との決別。

いつか、きっと、春が来ることを望みながら。



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名前と言う抽象的な仮面

最近、名前を呼ばれる度に違和感を感じます。
特に、苗字を呼ばれた時に、ビクッとして恐怖感すら覚えるようになりました。
どうしても、自分の名前とは思えなくて、だんだん反応すら出来なくなっています。
今迄も、苗字を呼ばれる事に強い抵抗感があったんですが、感覚が鋭敏に成るに従い、不安と恐怖すら覚える程になってしまって…。

不思議ですが、pico(ピコ)と言う名前には安心感を覚えます。
この名前は詩を通して、自分の中から自然と生まれてきた名前で、インナーチャイルドのような気がしています。
この名前で呼ばれると、全く違和感なく、自分のことだと認識できるんです。

それが苗字で呼ばれた時は、それが自分の事だと認識するまで、頭の中を1週して確認しなければ、意味不明の他人の名前としか思えないんです。
しかも、とても厭な気分になり、一瞬にして不安になり、鼓動が苦しくなります。
それで、一度その名前を葬ってしまおうと思い、心の中の墓石の下に埋めました。
ドナのウィリーのように。

時々、墓石の下を覗き込んで、過去の抜け殻と対面し、其処に何が在ったのかを分析しなければいけないと思いますが…。
それは、棄ててしまった過去の断片から、今まで見つけられなかった自分自身の欠片を探し出し、空っぽの過去を少しずつ埋めて、点と点を繋げていくように…。

名前って、その人を特定する為の抽象的な仮面に過ぎないんだと思います。
そんな仮面に苦しめられる事もないでしょう。
偽物の過去の自分を棄てた時、一緒に過去の名前も棄ててしまったんでしょうね。
性別を棄てた時(これは元々、存在していなかったようですが)と同じように…。


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愛着障害・アダルトチルドレン(AC)について

以前にも少し書きましたが、発達障害を自覚したのは半年ほど前になります。
先日、発達障害や精神障害に関する検査を終えて、その検査結果によると、発達障害を全体的に含んでいるようです。
発達障害の詳細は、また後日という事にして、今日は愛着障害、所謂アダルトチルドレン(略してAC)について…。

ACに気付いたのは、ごく最近です。
共依存があることに気付いて、そこからです。
それまでは、愛着障害もACも共依存も、名称だけは知っていましたが、内容は全く無頓着でいました。
あまり関係ないような気がして、気に留めてなかったんですね。

それが、自分の感情に違和感を感じて、ネットでいつものように調べ回る内に、ACと共依存に行き当たりました。
自分に共依存があることに気付いて、当初はかなりショックでした。
発達障害を自覚した時とは、全く対称的に…。
発達障害の時は、自覚することでホッと安心したんですが、共依存の時はそうはいきませんでした。

ピアサポートに関心を持ち、それを生きがいのようにさえ感じ始めていたのですが、それら全てが共依存に縁る感情がそうさせていたことに気付き、全てが、漸く新しく見つけ出したように思っていた人生そのものが、砂上の楼閣のように瞬く間に崩れ落ちて、その後には空っぽになった自分しか居ませんでした。
虚しさが心をさらい、空虚な空間に孤独に立ち尽くす自分がいるだけでした。
今まで認めることすら出来なかった自分自身、自己否定の対象でしかなかった自分に対して、発達障害を自覚した事で、自分を漸く認めて、自分自身を信じてみようと思えるようになっていたのが、そんな思いが全て消え去りました。
再び、自分が信じられない。
自己否定の再燃。
自分の中の自分自身がなくなってしまった。 そう感じていました。

でも、逸れもまた、真正面から自分と向き合ったことの軋轢だったようです。
共依存に気付いたその時の環境が、自分から逃げずに、自分自身と向き合う機会を与えて貰った事で、ほんとの自分を見つける段取りを整えて貰ったようです。
自分の感情を否定したり、無視したりせずに、其のまま受け止めて向き合うことで始めて、共依存というものに気付けた訳です。
自分と向き合う事を拒絶していれば…、自己否定に至るほどの葛藤を恐れて逃げ出していれば…、気付きの機会を逃していたでしょう。
気付かなければ、この先ずっと、ほんとの自分がどうしても分からずに迷い続けたでしょう。

自分でも自分の事が理解できない。
何故、そうしてしまうのか?
何故、今迄ずっと、自分がどこにも居ない生き方をしてきたのか?
自分で望むこと生き方を、自分で否定してしまって来たのは何故なのか?
廻りの事ばかり気にして、自分が存在していないような人生。
自分が分からない。
自分を信じられない。
自分自身への執着の無さ。
そんな、発達障害だけでは納得がいかない自分への違和感。

そういった不安を抱えながら、遣り切れない自分を放置して、どうしていいか分からずに居ただけだと思います。
それらが、ACに起因していたとは…。
ACの部分が、発達障害の一部を覆い隠して、自分自身を余計分からなくさせていたようです。

検査の結果が出た事が一つの契機となって、不安が薄れ、何を見つければいいかが見えてきたような気がします。
それが、インナーチャイルドという事だと思いますが、認知行動療法を始めたことで、自動思考に気付いたことも、不安を和らげる助けになりました。
AC(アダルトチルドレン)は、確かに厄介です。
ですが、全てが悪い面ばかりじゃなくて、AC の良い面だってあると思います。
発達障害ならではの、ちょっと風変わりな能力(過集中のような)と同じように…。

悲観的になってばかりいても、生きていけません。
見方を変えて、自分自身をコントロールできるようになれば、自分に振り廻されるのではなく、自分にしかない特異なものを強みに変えていけるんじゃないか。 そう、思います。
先ずは、自分探しの旅からですね。

今日はこの辺で…。


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