- 『ピコの心』 -                (凸凹作家ピコの屈折した記録)

切り絵、パステル画、詩、書、発達障害(自閉症スペクトラム・ADHDなど)、愛着障害(アダルトチルドレン)、解離に関するもの、その他。 暫くは詩が中心です。

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小物たちの紹介


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数年前に作った小物たちの一部です。

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虫の鼓動

先程の話の続きです。

昆虫の種類って、他の脊椎動物や節足動物などと比べても、比較にならない多さで、動物全部の種類の8割を占めるそうです。
その数も膨大なことでしょう。

地球上に酸素の濃度が高かった3億年前の古代、石炭紀には巨大な昆虫が我が物顔で徘徊したり、空を飛び回っていたそうです。 (昆虫の巨大化と酸素濃度の関係については、新説が有るそうですが)

今は、そんな恐ろしい昆虫は生存していませんが(恐らく)、現在の種の数からして最も繁栄している種と言えるようです。
数にして、どの程度の昆虫が居るのか分かりませんが、それらの昆虫の鼓動がシンクロ(同期)したら如何なるんでしょう。
小さな昆虫の鼓動が、しかし、膨大な数の昆虫の鼓動が完全に同期したら、大地を揺らす激動となるんでしょうか。
地球の鼓動と同期した昆虫の鼓動が、大地を揺らして地震を起こし、なんて、SF作品にありませんでしたっけ。

ふっと、思い付いてしまいました。

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虫の変態

ふと、昆虫にも心臓が有るのかな、と思って調べてみました。
人の…(こういうのは、眩暈がして書けません)にあたる体液を送り出すポンプの役割をする、背脈管と呼ばれる器官が心臓の役割を果たしているそうです。
脳も微少ながらありますが、脳という形状に至っていない為なのか、脳神経節と呼ばれるそうです。
また、社会性を持つ昆虫に発達している脳の部位を、キノコ体と呼ぶそうです。
キノコが社会を作ったんですね。
じゃあ、今の社会はキノコの副産物?

話が、とんでもなく遠くまで飛んでいきました。

昆虫は、変態して姿形を全く別の形態に変えてしまいますよね。
あの芋虫や、青虫が、あの気持ちの悪い生き物が、サナギになり、やがて自身を引き裂き、背中から殻を破って蝶となって再生してくるんですね。
どうやって、あの美しい蝶になるのか不思議です。
サナギになり、蝶となって生まれ変わる過程で、サナギの中では一端自分の体を分解してしまうそうです。
サナギになったばかりの状態では、その中身はドロドロの状態になっているそうです。
蝶となって生まれ変わるために、自分の体を崩壊させてから、新たな姿を作り直すようです。

人生を新たに生き直そうとすれば、一端自身を崩壊させるほどの混乱の後に、初めて新たな旅立ちが出来るのかも知れません。
してみると、僕は今、ドロドロに融けた状態から、自分の形態を作り直している最中なんでしょうか。
今は未だ、ドロドロかな?

うっ。

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詩について

詩は、自分だけの世界で十分。
誰かに向けて書くことは、もう止めにしたい。
過激過ぎる感性が、それを良しとはしない。

だから、これからは自分だけの世界に留めよう。


ピコ


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詩の朗読

今日は、詩そのものではなく、詩の朗読について…。

これもいつものように、いきなりだったんですが、自分で書いた詩を声に出して読んでみたくなって、突然始まってしまったんです。
ただ、聞いてくれる人が居なければ、やはりつまらない。

自分自身で読むことで、自分に語っているようで、それで心が落着いたりするんです。
それを、誰かに届けたい。
読んで聞かせてあげることで、相手の心に直接届けたい。
そう思うようになって、でも、実際にその機会が訪れるまで2~3ヶ月は掛かりました。
なかなか聞いて貰えない。(詩を読むって言っても、大したこと無いと思われたようです。)

実際、上手い下手はどうでもいいと思っています。
つっかかってもいいし、感情に呑まれて言葉にならなくてもいいし、それでも何かが届けばいいと思っています。
ほんの少しでも。
少なくとも、自分の心は開放されます。

やっと聞いて頂ける相手に会い、その後は機会ある毎に、数度ですが、詩を朗読する時に巡り会って…。
今日は、結構大きな場所で、30人以上の前で…。
でも、緊張したりすることは忘れていたようです。
ただ、遠くの席まで心を届けたい。
声を届けたいとは、全く考えなくて、ただ心を届けたいと思っただけです。
それでも、かなり広い場所なので、自然と違ったトーンになったようです。
聴衆が一人ならやや語るように、人数が増えると強く訴えるように、自然とスイッチが入れ替わるようです。
どこで覚えたのかしら。

時々、突拍子の無い事もやってしまうのに、自分でも驚くことが多いですが…。

詩を読むことだけでも、心を解き放って、不安を解消する効果があるようです。
グループで、自分で書いた詩でもいいし、誰かの(有名無名を問わず)詩でも構わないので、詩の朗読をする、謂わば、ポエムセラピーですね。
そんな事が出来たらと思っています。
そんなところから何かが始まるのも、面白いと思いますけど…。

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