- 『ピコの心』 -                (凸凹作家ピコの屈折した記録)

切り絵、パステル画、詩、書、発達障害(自閉症スペクトラム・ADHDなど)、愛着障害(アダルトチルドレン)、解離に関するもの、その他。 暫くは詩が中心です。

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自分の中には見えない感情

無意識の内に人の心と繋がってしまうのは、時にとても不自由です。
共感覚で繋がって受け取った感情がどんなものであれ、それは無意識の内に起こる感覚なので、自分でも全く気づかずにいます。
数時間、或いは数日経ってから、自分の中の見慣れない感覚(感情)が、自分のものでないことに気づきます。
自分の心の中をいくら探ってみても、それが何なのかを見ることが出来ないことに気づくと、始めて、それが自分以外の誰か(共感覚で繋がった)の持ち物だったことが分かります。
悲しみであったり、不安であったり、いずれにしても、何度繰り返しても、その感情が自分のもので無いと気づくまでの期間、長ければ数週間に亘る時もありますが、あたかも自分自身の感情のようにそのまま受け取ってしまいます。

その受け取った感情が強ければ、例えば、とても深い悲しみや、とても強い不安や、その深さや強さの分だけ心に重荷を背負うことになります。
しかも、何故なのかが分からずに悩み続けることになります。
自分の中をいくら探しても、自分のものではないので、何故かなんて分かる筈がありません。
自分の外から来たものであることが分かった途端に、心の重荷はその質量を失い、それまでの重圧から開放されます。
こんなことが、何度も繰り返されます。
知らないうちに受け取ってしまったお土産なので、気が付くまではお土産であることすら分からないんです。

分かっていれば、その都度そんなに苦しい思いをしなくて済むんですが…。
全く、不便な感覚です。
受け取る感情が、より深いところにある強いものであることが多いだけに、あまりに強烈で暫くは流されるままになってしまいます。
ここずっと続いていた理由の分からない気鬱感が、今回もまた共感覚によるものだったようです。

猫や木と繋がっていた方が、ずっと楽なんですが…。
それでも、この不可思議な共感覚が、何かの、誰かの役に立てるのなら幸いですが…。
少なくとも、悲しさや不安や辛さをストレートに受け取ることで、当にストレートに分かって上げることは出来ます。
共感とは意識して相手の気持ちを察して思いやることだと思いますが、意識する部分と安全な場所から察してという部分が違います。
意識していないところで働いてしまうことと、危険な状態まで同化して共有してしまうことです。
だから、せめて共感覚で繋がった相手から、共有して繋がることで受け取った心の重荷を、少しは減らしてあげられるといいんですが…。


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