- 『ピコの心』 -                (凸凹作家ピコの屈折した記録)

切り絵、パステル画、詩、書、発達障害(自閉症スペクトラム・ADHDなど)、愛着障害(アダルトチルドレン)、解離に関するもの、その他。 暫くは詩が中心です。

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僕の自慢の先生

僕のメンタルを診て貰っている先生は、たぶん、他にはどこにも居ないんじゃないかと思うような、とても個性的で、人間的魅力に溢れていて、全然精神科医らしくなくて、いつも必ず患者と寄り添ったところから、そっと支えているような、僕の自慢の先生です。
ちょっと不思議ちゃんで、患者へのアプローチの仕方がとても独特で、他の精神科の先生とは、おそらく全く違うところから手を差し出しているような感じです。
多くのメンタルクリニックでは、心の病気を細かく分類し、その分類した病名に添った治療・投薬をしていると思います。
でも、診断が違って治療が逆効果になることがよくあるようです。

僕も、最初の頃は病気、或いは障害の診断名をかなり気にしていました。
それが、ACに気づいたことが一つの切っ掛けになったんでしょうか…。
どこまでが本来の自分で、どこからが見せかけの振りをしている自分か分からなくなり、混乱する中で、障害の名称など如何でもよくなりました。
名称が如何であれ、症状に変わりは無いわけです。
病名、障害名を治療して欲しいわけじゃなく、症状を何とかしたい、何とかして欲しいわけです。

病気や障害の名称だけを見てしまうと、双極性障害だからこういう時はこうなるんだとか、ASDは人と共感できないだとか、どこかに当てはめようとしてしまいますよね。
でも、症状は千差万別、症状にも皆個性があって少しずつ違います。
無理に当てはめようとしても、当てはまらなければ治療方針が立たないということになるんでしょうか。

僕が、とても信頼している自慢の先生は、必ず症状を見ています。
それぞれの症状にあった治療をしているようです。
心というのは、壊れたり傷ついたりしますよね。
怪我をしても、自然と治そうとする力があるように、心にも自然治癒力はありますよね。
心は、治すのではなくて作ればいいと書いてあったのを見かけました。
心は、中から癒して、育てていけばいいんだと思うんです。

障害といわれるものについても、結局は自分の中で新しい自分を、生き辛さに負けない自分を育てていくしかないんじゃないかと思います。
人との関係が苦手で大変なら、人と関わらない生き方をすればいいと簡単に言う人もいます。
もちろん、それを選ぶのも自由ですが、僕はその道は選びません。

少し、話が逸れましたね。
僕の自慢の先生は、心が自ら癒そうとする力を引き出してくれます。
薬に頼らずに、患者本人が持つ力をしっかりと捉え、引き出すんです。
一見、何もしていないように見えて、実はすごいことをしているんです。
受診して、会うたびに、そう実感します。
たぶん、特別な才能だと思うから、他の精神科の先生と比較は出来ないと思います。
僕は、「心を揺らす」 と勝手に言っていますが、ほんとにちょっと不思議ちゃんですね。

診断しないと、手帳の申請ができなかったり、診断によって安心する場合もあります。
僕もそうでしたが、自分が何の障害なのかを知りたいのは当然ですが、ある程度のことが分かれば、後は症状にどう対処していくかを考える段階になるんだと思います。
患者にも、踏むべき段階があるのかも知れません。
発達系の障害の場合は、自分が何なのか分からずに不安になっているので、知ることはとても大事な第一歩だと思います。
それが最初の段階。
知った後でも消えない不安は、それ以上知ることだけでは解決しないんじゃないかと思います。
ここからが、次の段階。
どう生きていくか、どうやって生き辛さを解消していくか、或いは、どうやって再発しない心を作っていくか、そういったことが中心になっていくと思います。

僕は、心理学自体に興味があるので、探求はずっと続けますが、障害の分類やその詳細にはあまり興味がなくなりました。
今、知りたいのは、一つの症状がどこから来てどうすればいいのか、例えば、衝動性が何を原因としているかが分かれば、衝動に惑わされることが、少しでも少なくなるかも知れません。
一口に衝動性といっても、いろんな要素が絡んでいるんじゃないかと思うんです。

前回書いたように、共感も受け取る感情の情報量が膨大になって、感情がフリーズしてしまうんじゃないかというのが自論です。
今のところですが…。(その内、間違いに気づいて考えが変わるかも知れません。)
障害自体も、全く別の障害がそれぞれ単独で存在し、その幾つかを併せ持っている場合がある、というのが定説?のようですが、元は一つの障害群のそれぞれの側面のような気がします。(上手くは説明できませんが…)
こういう考え方自体が、実際にあるようです。
こういった話も、その(自慢の)先生に話してしまったりするんですが、否定せずに聞いて貰うだけで、ちょっと嬉しかったりします。
こんな荒唐無稽の話は、聞いても貰えなかったり、鼻であしらわれたりしても、しょうがないですよね。
こういった話も、まともに聞いてくれるのは、やっぱり優しさかな?

あたまごなしに否定されたり、定説を述べられたら、基礎知識も無しに勝手に想像を廻らせているんだから、とても太刀打ちできないし、話をする気も失せてしまいますが、僕の自慢の先生は、いつも一緒になって考えてるように見えます。
そういうところも、無条件に信頼する要因でしょう。

それと、基本的な感情表現が上手くできないのは、これは結構厄介なんです。
ありがとう、ごめんなさい、おねがいします、そんな言葉をいつ言ったらいいのかが難しいですね。
僕の自慢の先生を見ていて、そういったことをどうすればいいかを教わったりもします。
教えているつもりは無いと思いますけど…。

だから、指標でもあり、いつも教わることばかりです。
聞きたいことが山ほどあって、ACだって分かってからは尚更、聞きたいことだらけで、困らせてるかも知れませんが…。
何があっても、すぐ横に心を寄り添わせて…、こんな精神科医っていないんじゃないかな。
この先生に巡り会えなかったら、今は、今という時自体が存在しないと思うし、この自慢の先生の下で、一つ一つを少しずつでも乗り越えていってるように思います。
一つ乗り越えても、また次の壁が立ちはだかり、その度に、この先生はちゃんと見ててくれるんですよね。
「ああ、分かっててくれる」 それが、大きな支えになっています。
すっかり頼っちゃってるけど、いいのかな…。

今日は、僕の自慢の先生の話でした。


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