- 『ピコの心』 -                (凸凹作家ピコの屈折した記録)

切り絵、パステル画、詩、書、発達障害(自閉症スペクトラム・ADHDなど)、愛着障害(アダルトチルドレン)、解離に関するもの、その他。 暫くは詩が中心です。

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作られる障害者という除外者

今のシステムの下では、障害者は作られるものだって気がします。
外見から分かる障害がある場合(身体の障害)は、後天的なものであればその時点から、先天的なものであれば最初から障害と見られます。
精神の障害の場合、特に見た目に分かり難い場合は、障害の手帳が交付されるまでは障害ではないようです。
ところが、手帳が交付された瞬間に障害になってしまうようです。
本人の事はどうでもいいんですね。

あくまでも、今日の話は精神の障害についてです。

「はい、ここから先は障害さんの日になります。」
「あなたは、まだ、明日にならないと障害にならないんですよ。」
そして公的な窓口でも、手帳が交付されるとがらりと変わります。
「はい、障害さんいらっしゃい。」
作り笑いを浮かべながら、うわべ温かく迎え入れてくれます。
言葉遣いも変わって子供に対するように、急変します。

いろいろなところで障害を意識させられ、障害者らしさを教えられます。
そして、徐々に障害者になって、障害者であることに依存してしまうようになります。
そして、管理しやすい障害者が出来上がっていくわけです。
大概の場所で、「障害者」として扱われます。
ほんとに障害者であるかどうかはどうでもいいんです。
背中にはんこを押されてるかどうかだけなんです。

今日はかなり毒舌になってますね。

いつまでも、障害としてしか見ることが出来ない未熟な社会。
障害の名の下に、才能も障害のはんこを押されてしまう。
才能そのものを見ようとはしない。
ちょっと悲しいですね。

なぜ、そんなに無理に分けたいんでしょうね。
人は個性があって当たり前です。
個性、特に才能に飛び抜けたものが有れば、その分不得意な部分が生まれます。
そうやって、バランスをとってるんです。
発達系の障害に限らないと思いますが、そこまで行くと話が尽きませんので、その話は今度又。
発達系の障害の場合、特にそう思うんですが、それってほんとに障害なんでしょうか。
そういう特性の人は、大概、人とは違った能力の一面を持っています。
そういうところを見ようとはしないんですね。
妬みもあるでしょうし、ちょっと違うと排除して隔離したがるのは、本能的なものでしょうか?

そういうと、今度は不得手な部分を攻め始める。
不得手な部分も個性があるから、人それぞれ違うはずです。
違いそのものを認め合えば、出来ない部分を補い合えば、其々の個性に最適な生き方が出来れば、…。


閉じた世界を持つ人は、その世界の中で独特の成長を遂げ、独特の世界を作り上げます。
その世界は、外へ広がる事を忌避する分、その内側で無限大に広がり続けます。
閉じた世界の小宇宙です。
確かに、パラレルワールドの世界ですね。
でも、その広大の世界のほんの一部しか見せてあげることは出来ません。
広大過ぎて、表現する手段が追い付かないんです。

外の世界に向けて表現することは、自分の命を削り出すような作業です。
その意味は、大概は理解できないと思いますが…。
何を書いても、伝え切れない虚しさが残ります。


話を戻しましょう。
お互いに少しずつ手を差し伸べあって、補い合えばいいだけなんじゃないでしょうか。
寄り添う心さえあれば、互いに支えあって、ほんとに豊かな(心の豊かな)社会が生まれるんじゃないのかな。
健常者が障害者を支えるという一方的なことで無く、健常者も障害者もないんじゃないでしょうか。
特性や得意なことが違うだけなんだから、それを補い合って互いに支えればいいだけなんじゃないでしょうか。
その中に、健常者も障害者もないんでは…。

全ての障害として扱われている、あらゆる障害を含めて言えることではないでしょうか。
今日は切りが無くなりそうなので、この辺で終わりにします。


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この記事のコメント

以前、同じような葛藤に苛まれ
ノートに書きなぐり
アンオフィシャルな部分で発散したことがあります。結果は賛否両論って所でしょうか。
けれど、私の思想だからそれは私のもので良いとその時も今も思ってます。
けれど、「精神障害者」については腑に落ちないことばかりです。
障害者と名をつけてはみるものの、其処に対しての配慮があるわけではなく、picoさんが表したように、私も刻印を押された気持ちにはなりました。
刻印押したなら、その刻印に対してちゃんとアクション起こしてくださいよ、と腹の中で沸々と思ってるのが本音です。

金曜日、勿論です。了解です。

コメントをする割には、見ることが少なくごめんなさい。
私は小諸や佐久にいるので、
三次元でお会いするのに少し時間はかかりそうですが
満月の夜に、世間という時間軸を少し超えた所でお会いしましょう。
2015-12-10 Thu 14:20 | URL | きるみ #qTBoXQ2I [内容変更]
葛藤と苦悶の狭間で、木漏れ日が懐かしくなる。
時間軸を超越した彼方の世界から、闇を熔かす陽光が差し込む。
その微かな期待を抱きながら、じっと見守るしかない苦悶の霧。

自身の心の重さを充分に自覚しながら、敢えて更に二つの心の重さを抱き、手放すことが出来ずにじっと見守り続けています。
その一つの心は、きるみさんに依頼した例の心。
その代償は充分に分かっていながら、今は手放す事など出来ないの。
これは、僕にしか出来ない事。
その奥に潜む闇の広がりを、いつでも感知できるように、時空を超えた絆を保ち続けています。

最初に受け取った時の、その重さは量り難く、遺書を認めることを迫るほど。
もっとも、他の二つの心が充分重かったせいもあるので…。
今回で2度目の繋がりを持ち、今回ばかりはその苦悶の激しさに、手を離すことを自分に許さなかった。
只じっと、心を聞き入り、その揺れを見守るしか出来ませんが。


満月の時間軸を記した刻印を、例の方に託すも一興、この場に残すも一興。
満月の実際の時間軸には、彼の超越の地に留まったことが無いので、その確認。

例の方に贈った詩が、少しは支えになってくれることを願う事しか出来ないの。
では、くれぐれも宜しく。
我が心の盟友へ。


風を呼ぶピコより

2015-12-10 Thu 20:16 | URL | 風のピコ #- [内容変更]
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