- 『ピコの心』 -                (凸凹作家ピコの屈折した記録)

切り絵、パステル画、詩、書、発達障害(自閉症スペクトラム・ADHDなど)、愛着障害(アダルトチルドレン)、解離に関するもの、その他。 暫くは詩が中心です。

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落ち着きました。抑制が働いたのかも知れません。

昨日の混乱はなんだったのかと思うほど、今日は落ち着いています。
どうにも落ち着かなくて、ネットでいろいろ検索したりして、少し参考になるページも見つけました。

以下、引用です。


訳もなく落ち込んでしまい、どんな感情に引っ張られているかが分からないときもあります。
それは、自分自身が感じないように抑圧してきた感情に何かの拍子で触れてしまった時にそうなるようですね。


今、目の前にある問題が少しずつ緩和されてくると、その分だけ余裕が出てきます。
そうすると、その心のスペースに過去の痛みが湧き上ってくるんです。
それはまさに「僕も癒してよ~」って心の作用なのかもしれません。
その痛みは時には古い感情で、自分でも記憶にない痛みであることも少なく無いんですね。
それで落ち込んでるんだけど、どうしてなのかが分からない・・・という気持ちになってしまうのです。

ただ、そういうときに深刻になって「どんな感情が足を引っ張っているんだろう?」とか考え始めると、たいてい、どんどん気分は悪くなってしまいます。

なぜかというと、思考で感情を処理するのは難しいからです。


でも、感情というのは、理不尽で、矛盾をたくさん含むものです。
どらくらい理不尽かといえば、夢を思い出してみればよいと思うんです。
時間も登場人物もストーリーもめちゃくちゃなときってありますよね?
あれが心の中の世界だと思って頂いてもいいくらいです。


だから、気分が落ち込んでるなあ・・・と気付いた時はあれこれ考えずに「あぁ、今、気分が悪いんだなあ~、無理せず休めってことかな~」なんて風に捉えておく方が心のためになるものです。


気分が落ち込むとき~心と夢と思考の関係~



あまり考え過ぎない方がいいのは分かるんですが、でも考えずにいられないし、考えれば考えるほど訳が分からず、深みに嵌る一方でした。

そのうちに、ふと、昨日は何しろ調子が良く、躁状態だったのですが、未だ母の四十九日にもならないのにって、一瞬思ったんです。
自責の念ですね。
ほんの一瞬だったんですが、それが抑制として働いたのではないかと思います。
それで、急激な落ち込みを誘導したんじゃないかと思います。

更に、葬儀の際に葬式躁病になり、その悲しめないやるせなさに因る自責の念に、火葬によって変わり果てた姿を見た衝撃が起爆剤となって、フリーズとクラッシュが混在するようなショック状態になった、あの時の記憶の感情部分だけがフラッシュバックで甦り、抑制と相俟って急激な落ち込みへと導いたのではないかと思い至りました。
其の事に気付いてから、徐々に落ち着きを取り戻した事から、どうやら正解だったようです。

人の心と言うのは、不思議な働きをするものですね。

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