- 『ピコの心』 -                (凸凹作家ピコの屈折した記録)

切り絵、パステル画、詩、書、発達障害(自閉症スペクトラム・ADHDなど)、愛着障害(アダルトチルドレン)、解離に関するもの、その他。 暫くは詩が中心です。

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変わる事、変わらない事、発達障害でも

今日はメンタルクリニックでカウンセリングでした。
実はいろんな事があり、メンタルクリニックへ行くのをためらっていました。
もしこのまま行く事が出来なくなったらと思うと、不安と悲しさに溺れそうになりました。
でも、自分の中で何かが、以前の自分では考えられなかった何かが変わっていて、その事に気付いたことで、思い切ってカウンセリングに行く気持ちになりました。

発達障害の特有の症状と言うのは、脳の発達段階での偏りに因るものです。
即ち凸凹な発達をしたせいで、プラス面とマイナス面に突出した部分が生じてしまう訳です。
実際に生き難さを感じたり、社会生活に対して適応障害を起こしたり、二次障害に苦しんだりするのは、マイナス面が強く出てしまった場合に顕著になります。
感覚的な特異性も実生活に影響しますが、目に見えない部分のほうが、廻りから気づかれない分、余計に心理的な負担となって本人に跳ね返ってきます。
アスペルガーに特有と言われる認知の歪みは、容易にコントロール出来るものでないだけに、本人にとっては辛いものです。

発達障害自体は、現在の医学では治る事がありません。
また、発達障害自体、そして発達障害に起因する特徴を含めて、その全てがその人自身の一部なので、治すという事の意味があるのかどうか、疑問に思います。
それは今後の課題でしょうが、現在に於いてはどうやって生き難さを解消していけるかが重要な事だと思います。
治らないからと諦める必要は無い事を、最近気付く事が多くなりました。
治らなくても、変わることは出来ます。

何が原因だったのか、如何すればいいかという事が分かってくると、短期間で変わる事もできます。
確かに、長期に亘って少しずつでないと変われない事もあります。
それでも、確実に前に進む事は出来ます。
ただし、発達障害である事を自覚しないと何も始まりませんが…。

認知の歪みのような問題は、長年の思考の癖が災いしていて、大人になってからでは簡単には修正して行く事が出来ないのは実感しています。
それでも、何かの切っ掛けで気付いた事によって、自然と自分の中で変わっていく事もあります。
発達障害である事を自覚して、答えを探し続ければ、いつかは答えも見つかります。

アスペルガーは特に人間関係で悩む事が非常に多いのですが、同時に孤独感を感じていて、一人でいる辛さも感じている人が多いと思います。
僕自身もそういった感覚は特に強いです。
人に対する位置付け(或いは好き嫌い)が極端に走るので、友人を作り難いのも確かで、僕自身殆ど友人はいません。
一度友人になっても、些細な事から信頼が崩れて、そうなってしまうと何の関心も無くなってしまいます。
どれだけ親しい友人であっても、一度信頼出来なくなってしまうと、すれ違っても見向きすらしません。
まるで、視界に入ってさえ来ないかの様にです。
こういうのを 「人間関係のリセット」 と何処かのブログで見かけましたが、的を得た言い方です。
今までは、本当に人間関係のリセットをしてきました。
それが、少しずつですが、自分の中で変わってきているようです。
リセットから保留になったのでしょう。
相手に対する感情そのものが全て消滅していたのが、相手へのプラスの感情が残るようになってきた事に驚いています。
簡単に言うと、喧嘩したら二度と仲直り出来なかったのが、仲直り出来る事を望むようになったと言う事です。

普通ならごく当たり前の事ですが、そのごく当たり前の事が出来るようになるのも大変な事なのです。
そういった、一つ一つの積み重ねしかないですし、自分に合った独自の手法を見つけて、自分なりの対処が出来るようになる迄には可也の年月が掛かるかも知れません。
また、認知の歪みを一つ一つ解決していくのも、可也大変な事かも知れません。
生き辛さに苦しまずに生きていくためには、一つ一つ答えを見つけていくしかないのです。
ただし、変えたくない所は、無理に変えて廻りに合わせる必要は無いと思います。
変えずにいてもいい事だってあると思いますし、廻りに全て合わせて個性を無くしてしまったら、それは見知らぬ他人になってしまうようなものです。

それに、見落とされがちなプラスの要素を、ちゃんと認めて上げないと可哀想です。
それこそ、発達障害の贈り物なんだと思います。
マイナスな要素は、その贈り物に勝手に付いて来てしまったおまけだと思えば、少しは気が楽になります。


今日は、思い切ってカウンセリングに行ってきたんですが、認知の歪みがネガティブな想像を掻き立ててしまっていたのかも知れません。
どんな時も、メンタルクリニックでは温かく迎え入れてくれます。
どれほど落ち込んだ時も、人生に落胆して嫌になった時も、変わる事無くいつでもとても温かく迎えてくれます。
いつでも安心できる場所になっています。
そのことを、改めて実感し、ホッと安心すると共に、このような恵まれた場所に巡り会った事に感謝する思いです。
カウンセリングでは、じっくりといろんな話をします。
その中で、いろんな事に気付く切っ掛けを得たり、解決への道筋が見えてきたりします。
カウンセリングの先生には、いつも大きな安心感を与えてもらっています。
自覚して以来、いろんな人と会って話す機会がありましたが、寄り添う心を持った人は、そう多くはいません。
どれほど知識があっても、寄り添う心を持っていない人もいます。
カウンセリングの先生は、寄り添う心を持った数少ない一人であり、澄んだ心に安心感を覚えます。

今日のカウンセリングを一度は躊躇ったのに、何とか行って来れたのも、しっかりした信頼を持てたからだと思います。
僕にとっては、信頼する事自体がそう簡単な事ではないので、信頼できると言うだけでも貴重な事です。
安心できる場所、信頼できる人が多ければ、それが心の拠り所になります。
このメンタルクリニックに巡り会える幸運に恵まれなければ、いったいどうなっていただろうかと考えると、とても怖くなります。


今日も、以前に書いたを載せます。(一つは季節外れになってしまいましたが)



<心の冬>
窓の外は 春です。
心の中は 冬です。
季節はずれの 雪が舞っています。
どんよりと 曇った空から、
冷たい雪が 落ちてきます。

それでも、
いつか、
きっと いつか、
雪も止(や)んで、
心も 春が来るでしょう。

だから、
待ちましょう。
そう遠くない、
その日を、
楽しみに、
待ちましょう。



<ちゃんと見て!>
人は、一人では生きていけないって言うけど。
僕らは 孤独だと、
生きることを 諦めてしまうんだ。

人と 上手に付き合えないのに、
それでも、
人恋しくなってしまうんだ。

愚かで、
純粋で、
生きることに不器用で、
生きることに真剣で、
繊細で傷つきやすく、
感情的で、
単純で、
一途で、
子供のようで、
すぐ調子に乗ってしまう。

ちょっと変わってるけど、
それが僕らなんだ。

それだけなのにね。
どうして、目を背(そむ)けるんだろう。
どうして、ちゃんと見てくれないんだろう。

悲しいよ。
どうしようもなく、悲しいよ。

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