- 『ピコの心』 -                (凸凹作家ピコの屈折した記録)

切り絵、パステル画、詩、書、発達障害(自閉症スペクトラム・ADHDなど)、愛着障害(アダルトチルドレン)、解離に関するもの、その他。 暫くは詩が中心です。

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自覚すること(気付き)と、自覚を促すこと

ちょっと昨日の話の続きから。
ゲノム編集が人への病気の治療に応用されるようになり、治らないと言われた障害も治るようになる可能性はあるかも知れません。
だからといって治してしまうことが良いことなのかどうか、発達障害については難しい問題だと思います。
生まれる前であれば後の心配はないでしょうが、年齢が高くなるにつれてリスクの方が大きくなると思います。
脳の発達段階で生じたものです。
発達してしまった脳を再構築できるとは思えません。
無理に再構築した場合は、想像もできない副作用に苦しむかも知れません。
生まれ持った才能を全て手放すような事になるかも知れません。
生きる上での生き難さはある程度改善されるかも知れませんが、それと引き換えに才能を無くしてしまったら何が残るでしょう。
発達障害を持つ人は、何かしらの才能を障害と引き換えに持っていると思います。(才能を自覚しているかどうかは分かりませんが)
そういった部分はとても大事で、それが生きる支えになっている場合が多いでしょう。
それがなくなってしまったら、生き難さが解消されても、生きていること自体が無意味に感じるかも知れません。
僕ならそうですが。

子供のうちであれば、柔軟に対応していけるかも知れませんが、才能を潰してしまう事になるかも知れないのを覚悟すべきでしょう。
そして発達障害というマイノリティが存在しなくなった社会はと考えると、そんな社会に生きていたくはないですが。
何となく生きている、発展する可能性の芽を失ってしまった停滞した社会が見えるような気がします。


さて、今日の本題です。
僕は発達障害だと自覚した事で、初めて自分の足で立って、自分自身として生きることを始められたと思っています。
ただし、簡単なことではなく、日々いろんな事があります。
厭な目にも合います。
急に何もかも上手くいくなんて事もありえません。
子供のうちであれば矯正出来る事も、大人になってからでは対処法すらない場合もあります。
発達障害の自覚後の発達については、いずれ別の機会に譲りますが、自覚すること自体はとても重要なことです。
ただし、受け入れることが出来ればです。
受け入れることが出来ない人もいますが、その場合は発達障害であることを知ったことで苦痛が増すことになります。

本人次第で大きく変わってしまうんです。
自覚した事で人生が大きく良い方向に変わっていった人もいます。
でも、如何変わるか、或いは、変わらない事も選択肢の一つです。
廻りの事は一切無視して、自分の生き方を貫き通すのも一つの生き方です。
本人の意思次第で、生き方が如何にでも変わっていくのですが、自覚しなければそのチャンスはありません。
その意味で、自覚する必要性を感じます。

もう一つの課題。
自覚を促すこと。
これは、とても大変なことです。
簡単に本人に言ってしまえばいいなんて、軽率な事を言って欲しくはありません。
「あなたは、発達障害ですよ」
なんて、いきなり言われたとしたら、かなりのショックです。
発達障害といっても個人差がかなりあるので、どんな反応を示すかは皆違います。
いきなり攻撃的になって怒り出す人、ショックの余り最悪の事を考えてしまう人、快く受け容れる人は殆どいないんじゃないかと思います。
専門医から言われたなら、ショックであっても受け容れるようになるでしょう。
でも、どんなに信頼関係が有ったとしても、専門的な立場の人以外から言われた時には、信頼は壊れる事を覚悟すべきでしょう。
それがまた、発達障害の特徴ですから。 特に自閉症系の場合は不安が大きいはずですから、信頼自体が見せかけのものしか構築できません。(殆どの場合ですが)
時間が立てば受け入れられるようになる人もいるでしょうけど、ずっと拒絶し続ける人もいると思います。

自覚を促すということには反対はしません。
でも、その後如何しますか。
本人の自覚を促すほど、その人のことを思っているのなら、生涯サポートしてあげるくらいの気持ちでいて欲しいと思います。
サポートについては前に書きました。
そのためには、先ず発達障害がどんなもので、如何サポートできるのか。
どんなことが大変で、如何手を貸してあげたり助言してあげたらいいか、そんなことを事前によく勉強して欲しいと思います。
そこまではというのなら、自覚を促すなどと考えずに距離を置いた方が無難です。

自覚を促すこと自体、かなりハードルが高いことです。
いったいどうやって…。
如何すれば本人を傷つけないで伝えられるでしょう。
どんな反応を示すかは、障害が有れば尚更予測不可能と思ってください。
本人が自覚するチャンスを上手く与えて上げられればいいですね。
後は、本人がそれに気付くかどうかですが、全く気付かない人もいるそうです。

僕は、無理に気付かせるより、自然に気付くように何らかのサインを残しながら、今現在の生き辛さを理解して廻りで手を貸したり、そっと見守ったり、そんな事から始めたらと思います。
発達障害でもいいんだと思える環境づくりをしてあげれば、気付きも早くなるかも知れませんし、自覚した後も、既にサポートする形が出来ていて、不安にならずに済むでしょう。
本当は、自覚してもしなくても自然と分かり合えて、互いにサポートし合うことで生き難さを感じずに生きていけるようになるといいんでしょうが。

僕が志しているのはピアサポートです。
自覚していない人にはピアサポートは出来ませんし、かなり危険な行為です。(ピアである故に却って危険だそうです)
ですから、サポートしたい人への助言や、或いは、自覚していない人には只の友人として話を聞いてあげるだけです。
サポート自体、そんなところから…、寄り添って耳を傾けて上げる事からでいいんじゃないでしょうか。

自覚のタイミングと言うのは、自ら気が付くか、二次障害で専門医に掛かることで分かるか、殆どがそのどちらかのようですね。

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