- 『ピコの心』 -                (凸凹作家ピコの屈折した記録)

切り絵、パステル画、詩、書、発達障害(自閉症スペクトラム・ADHDなど)、愛着障害(アダルトチルドレン)、解離に関するもの、その他。 暫くは詩が中心です。

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老衰死、最期を看取ること

NHKスペシャルで、「老衰死 穏やかな最後を迎えるには」 が放送されて、録画で見ました。
つい最近、母を亡くしたこともあり、見入ってしまいました。

母が最後にどうやって息を引き取ったのか、実は分かりません。
最後を看取れなかったことは、今でも心に悔いを残しています。
その瞬間を看取ることで、近親の死という衝撃的な事実を受け止める準備が出来るんじゃないかと思います。
そういう意味では、最後を看取れなかったことで、死というものを受け止める準備が出来ず、今だに受け止め切れていないのかも知れません。
少なくとも、その時点では起こったことの意味を理解できず、受け止めることを全て拒否していたと思います。

最後の瞬間を看取るという過程を通過することで、事実を受け止める準備が出来て、もう居ないんだという事を受け入れることが出来るのかも知れません。
気が付いた時にはもうそこに居なかったという事実。
大切な瞬間を通らずに終えてしまったことで、別れが出来なかったという悔いが残り続けるようです。

最後を看取るということは、死を受け入れる準備のために、死を受け止められずに途惑うことを避けるために、とても大切なことだったんですね。
悔いを残すような映像の記憶が、薄れることなくずっと残り続けることで、自分を責めてしまう自虐ゲームが中々終わらないようです。

もしも、最後をちゃんと看取っていたら、如何だったんでしょう。
今となっては、分かりませんが…。

ちょっと、そんなことを考えて塞ぎ込んでしまいました。(いつもの事ですが)

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